旅行記の注釈
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読み進める上での参考になれば幸いです。
旅行記の注釈 目次
● 徒然草「仁和寺にある法師」
徒然草(つれづれぐさ)は鎌倉末期の随筆で、清少納言の『枕草子』鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆といわれています。
今でいうエッセイのようなものでしょうか。
● 上下2巻、244段からなり、その第五二段に「仁和寺にある法師」の記載があります。
・原文
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂くおぼえて、あるとき思ひ立ちて、
ただ一人徒歩よりまうでけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て、帰りにけり。
さて、かたへの人に会ひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。
聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに、山へ登りしは、何事かありけむ。
ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
・現代語訳
仁和寺にいたある法師が、年を取るまで、石清水の八幡宮に参拝したことがなかったので、
それを残念に思い、ある時思い立って、たった一人で徒歩で詣でたそうだ。
そして、ふもとの極楽寺や高良社などの付属の末社を拝して、これだけだと思い込んで帰ってしまったそうだ。
それから、仲間の法師に対して、「長年思っていたことを果しました。聞いていたのよりずっと尊くあらせられました。
それにしても、参詣していた人々がみんな山に登ったのは、山の上に何事かあったのだろうか。
私も行きたかったが、神へ参詣するのが本来の目的だと思い、山の上までは見ませんでした」と言ったという。
そういうわけだから、ちょっとしたことにも、指導者はあってほしいものだ。
● さらに実は第五三段に「これも仁和寺の法師」の記載があります。
・原文
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、
酔(ゑ)ひて興(きよう)に入るあまり、傍(かたはら)なる足鼎(あしがなへ)を取りて、
頭(かしら)に被(かづ)きたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平(ひら)めて
顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入る事かぎりなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方(おほかた)抜かれず。
酒宴ことさめて、いかがはせんとまどひけり。
とかくすれば、首のまはりかけて、血垂り、ただ腫(は)れに腫れみちて、
息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず。
響きにて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(みつあし)なる角(つの)の上に、
帷子(かたびら)をうち掛けて、手をひき杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり、率(ゐ)て行きける。
道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。
医師のもとにさし入りて、向(むか)ひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。
物を言ふも、くぐもり声に響きて聞えず。
「かかる事は文(ふみ)にも見えず、伝へたる教へもなし」といへば、また仁和寺へ帰りて、
親しき者、老いたる母など、枕上(まくらがみ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
かかるほどに、ある者のいふやう、
「たとひ耳鼻こそ切れ失(う)すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引き給へ」とて、
藁(わら)のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。
からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。
・現代語訳
これも仁和寺の法師の話、稚児が法師になるというのでお別れ会があり、各々が歌舞などをして遊んだ折に、
一人の法師が酒に酔って興にのりすぎて、そばにあった足鼎を取って頭にかぶったところ、
つかえてうまく入らないのを、鼻を押さえて平たくし、顔を差し込んで舞って出たので、
座のみんながおもしろがることこの上なかった。
しばらく舞を舞った後、足鼎を抜こうとしたが、いっこうに抜けない。
酒宴も興ざめし、一同はどうしたらよいかとまどった。
あれこれやってみると、首の周りが傷つき、血が流れ、ただ腫れに腫れあがって、
息も詰まってきたので、鼎を打ち割ろうとしたが、簡単には割れない。
頭にひびいて我慢できなくなり、割るわけにもいかない。
どうしようもなくて、鼎の三本足の角の上に帷子を引っ掛けて、一人が手を引いて当人には杖をつかせて、
京都にいる医師の所へ連れて行ったが、途中で出会う人が不思議そうに見るのはこの上もなかった。
医師の所に入って、医師と向かい合ったそのありさまは、さぞや珍妙であったろう。
物を言っても、声が中にこもってよく聞こえない。
医師が、「こんなことは書物にも書いていないし、伝わっている教えもない」と言うので、
再び仁和寺へ帰り、近親者や年老いた母親などが枕もとに集まって嘆き悲しむが、
本人は聞いているとも思えなかった。
そうしているうちに、ある人が、
「たとえ耳や鼻がちぎれてなくなっても、命だけは助からないなどということはない。
ただ力いっぱい引いてごらんなさい」と言うので、藁の穂の芯を首の周りに差し込んで、
鼎を首がちぎれんばかりに引いたところ、耳や鼻が欠けて穴だけになったものの、鼎は抜けたという。
危ない命を拾い、その後は長らく病んでいたそうだ。
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