武将解説
・武将選択画面に表示される、武将の解説文です。
・攻略には関係ないですが、参考情報として掲載しておきます。
魏武将
武将 | 解説 |
---|---|
夏侯惇 |
字は元譲。魏の将。曹操とは従兄弟。 呂布との戦いで矢を左目に受けるが、父母からもらった物だからと、 抜いた矢に刺さった目玉を食らったという。 その後も軍を率いて各地を転戦し、曹操の片腕として活躍した。 |
典韋 |
魏の将。いにしえの豪傑、「悪来」の異名を持つ怪力の巨漢。 曹操の護衛としてつねにその傍らにあった。宛城で張繍の夜襲を受けた際、 押し寄せる敵兵の前に立ちはだかり、命を懸けて曹操を逃がした。 |
司馬懿 |
字は仲達。魏の臣。曹操に才能を見出され、重用される。 蜀との戦いでは、諸葛亮の挑発に乗らず、守勢に徹して勝利を収めた。 曹氏四代に仕えるが、曹爽との争いに勝ち魏の実権を掌握。晋王朝の土台を築いた策謀家。 |
張遼 |
字は文遠。魏の将。はじめ呂布配下の将として各地を転戦した。 呂布の敗死後、曹操配下となる。合肥を守備した際、わずか八百の兵で 十万の呉軍を撃退し、泣く子も黙ると恐れられた。魏の五将軍の筆頭に挙げられる。 |
曹操 |
字は孟徳。魏の王。「乱世の奸雄」と評される。 兵法書を著するなど、文武に通じていた。黄巾野乱に際し、討伐軍に参加して頭角を現す。 董卓滅亡後、混乱する中原に着々と地盤を固め、大国・魏の礎を築き上げた。 |
許チョ |
字は仲康。魏の将。身の丈八尺以上の大男。 典韋と互角に戦った実力を認められ、護衛役として曹操に付き従う。 普段は無口でぼんやりしているが戦場では 虎のように勇猛に戦った事から「虎痴」の異名をとった。 |
夏侯淵 |
字は妙才。魏の将。夏侯惇の従兄弟。 曹操の挙兵から行動をともにし、軍の一翼を担った。 急襲を得意とした名将で、馬超を破るなど活躍する。 しかし、定軍山の戦いでは蜀将の挑発に誘い出され、最期は黄忠に斬られた。 |
徐晃 |
字は公明。魏の将。楊奉配下だったが満寵に説得され曹操に帰順する。 軍の主軸として各地を転戦した。知勇に優れた将で、樊城で関羽軍に 勝利した際「孫武に匹敵する」と曹操から称えられた。魏の五将軍に数えられる。 |
張コウ |
字は儁艾。魏の将。袁紹配下であったが、郭図の讒言により窮地に陥り、曹操軍に帰順した。 主に蜀との戦いで活躍し、諸葛亮にも一目置かれる。 街亭の戦いでは馬謖を包囲して撃破した。魏の五将軍に数えられる。 |
曹仁 |
字は子孝。魏の将。曹操の従兄弟。豪胆にして武芸百般に通じ弓術、馬術を得意とした。 赤壁の戦いののちは荊州を守備する。樊城で関羽軍に包囲されて窮地に陥るが、 堅く守ってこれを凌いだ。信任厚く、曹丕の代には魏の大司馬まで務めた。 |
曹丕 |
字は子桓。曹操の次男。魏の初代皇帝。文武に優れ、若年より曹操に従って戦う。 袁紹討伐戦では傾国の美女と称えられた甄姫を保護し、曹操の許可を得て妻とした。 曹操の死後、魏の王位を引き継ぐと、献帝から禅譲を受け帝位を得る。 |
甄姫 |
傾国の美女。肌は玉のごとく、美貌は花のごとし、と讃えられる。 袁紹の次男・袁キの妻だったが、曹操が冀州を攻め落とした際に、 真っ先に乗り込んだ息子の曹丕が見初めて妻にした。 |
呉武将
武将 | 解説 |
---|---|
周瑜 |
字は公瑾。呉の将。主君・孫策とは、義兄弟。孫策の遺言により若き孫権の補佐役となる。 赤壁の戦いでは都督として水軍を指揮し、曹操の大軍を破る。 粋人で、容姿端麗だったことから「美周郎」の異名をとった。 |
陸遜 |
字は伯言。呉の将。孫策の娘婿。思慮深く、孫権の起用に応えて功績を上げる。 呂蒙と協力して関羽を撃破し、荊州の奪還に成功。 さらに夷陵の戦いでは大都督として呉軍を指揮し、策をもって劉備率いる蜀の大軍を破った。 |
孫尚香 |
孫一族の娘。孫策・孫権の妹にあたる。 男勝りな性格で、幼少のころから武芸を好んだ。 のちに劉備の妻となるが、彼女の部屋の前には、武装した侍女がつねに控えていたという。 |
甘寧 |
字は興覇。呉の将。水賊出身で、腰に鈴を付け、無頼の徒を引き連れて、のし歩いていた。 劉表、黄祖と従うが、重用されず、呉に身を寄せる。 周瑜や呂蒙の推挙によって孫権に引き立てられ、のち赤壁や対魏戦で活躍した。 |
孫堅 |
字は文台。孫子の末裔とされる英傑。海賊退治して名を成した。 黄巾討伐で活躍し、長沙の太守となる。 反董卓連合軍では先鋒を務め、洛陽への一番乗りを果たす。 その後井戸から伝国の玉璽を発見し、本国に持ち帰った。 |
太史慈 |
字は子義。呉の将。義理堅く、かつて母が世話になった恩を返すために、 北海太守・孔融の危機を救った。のち劉ヨウに仕え、孫策と一騎討ちして互角に戦う。 やがて劉ヨウが孫策に敗れ、降伏したのち孫策に帰順した。 |
呂蒙 |
字は子明。呉の将。武勇一辺の武将であったが、 孫権に諭されて学問し、知勇を兼ね備えた名将に成長。 先輩の魯粛に「呉下の阿蒙にあらず」と感心される。 陸遜とともに荊州を攻略し、奪回に成功して関羽を捕らえた。 |
黄蓋 |
字は公覆。呉の将。孫堅挙兵時以来の宿将。鉄鞭の使い手。 赤壁の戦いでは周瑜と協力して「苦肉の計」を実行する。 自らを周瑜に棒打ちさせた黄蓋は、曹操に降伏すると 見せかけて魏の船団に火を放ち、呉を勝利に導いた。 |
周泰 |
字は幼平。呉の将。もとは水賊だが孫策に帰順する。 のち孫権に従え、山賊に攻められた際に多数の傷を負いながら孫権を救った。 合肥の戦いでも身を盾にして乱戦の中から孫権を救い出す。 その献身の働きに、孫権は酒宴を開いて厚くねぎらった。 |
凌統 |
字は公績。呉の将。凌操の子。孫権が夏口を攻めた際、黄祖配下の甘寧に父を射殺される。 若くして跡を継いだ凌統は、甘寧が味方となったのちも父の仇と憎み、対立した。 しかし、戦場においては孫呉のためにと、ともに戦い互いに手柄を競い合った。 |
孫策 |
字は伯符。孫堅の長男。孫堅の死後、袁術のもとに身を寄せる。 のち、袁術から三千の兵を借りて挙兵。短期間に江東一帯を平定し「小覇王」と呼ばれた。 幼なじみの周瑜をはじめ、優秀な人材を集めて呉の基盤を築いた。 |
孫権 |
字は仲謀。呉の初代皇帝。孫堅の次男で孫策の弟。孫策の急死により、後を継ぐ。 孫策から自分が攻めに勝るのに対し守りに勝る、と評される。 赤壁の戦いでは、曹操との交戦を決断し、大軍を相手に勝利を果たした。 |
小喬 |
橋玄の娘。呉の周瑜の妻となる。姉の大喬とともに、「二喬」と称された美女。 曹操がニ喬を狙っていると諸葛亮に聞かされた周瑜は 孫権に交戦論を主張して、赤壁の大戦に至った。 |
蜀武将
武将 | 解説 |
---|---|
趙雲 |
字は子龍。蜀の将。袁紹、公孫サンに仕えるが、劉備の人柄に惚れ込み臣下となる。 豪胆かつ勇猛な士で、長坂の戦いでは百万の大軍を相手に単騎で斬り込み、 劉備の嫡子・阿斗を救い出した。のち蜀の五虎大将に数えられる。 |
関羽 |
字は雲長。蜀の将。五虎大将の筆頭に挙げられる。 劉備、張飛と義兄弟の契りを結び、蜀の建国に尽力した。 義理堅いうえ武勇に優れ、「兵一万に匹敵する」と評される。 長い髯を帝に「美髯公」とほめられ、通称となった。 |
張飛 |
字は翼徳。蜀の将。五虎大将の1人。劉備、関羽と義兄弟の契りを結ぶ。 長坂の戦いでは、単騎で長坂橋に仁王立ちし大喝一声して曹操軍百万の追撃を退けた。 酒が好きでそのために酔って失敗することも少なくなかった。 |
諸葛亮 |
字は孔明。蜀の丞相。「臥龍」の異名を持つ。 三顧の礼に応えて劉備に従え、水と魚の関係に例えられるほど劉備から信頼された。 外交、内政に非凡な才能を発揮し、蜀の建国に多大な貢献をした。 五度の北伐を敢行するが、志半ばで五丈原に倒れる。 |
劉備 |
字は玄徳。蜀の初代皇帝。前漢の中山靖王・劉勝の末裔と称す。 義兄弟の関羽・張飛とともに黄巾賊討伐に参陣。 各地を転戦し、ついに蜀の地を得て、三国鼎立を成した。 漢王朝の再興という大儀のもと、天下統一をめざす。 |
馬超 |
字は孟起。馬騰の長男。その武者振りの見事さから「錦馬超」の異名を持つ。 父の仇・曹操を討つべく西涼の兵を率いて長安を襲うが、敗れる。 のち劉備に帰順。漢中攻略などで功を挙げ、五虎大将の1人に数えられた。 |
黄忠 |
字は漢升。蜀の将。弓の名手で、百発百中の腕を誇った。 劉表、韓玄に仕え、韓玄の配下として関羽と激闘を演じた。 のち劉備に帰順し、益州や定軍山の戦いで活躍する。 劉備の漢中王即位に伴い、五虎大将に任命された。 |
魏延 |
字は文長。蜀の将。劉表配下だったがその死後、劉備に降った。 このとき、反骨の相があるとして諸葛亮が反対するも劉備は受け入れ重用した。 のち、五虎大将に次ぐ猛将として活躍。北伐の際には蜀の主力として参戦した。 |
関平 |
蜀の将。河北に住む庶民・関定の次男だったが、
関羽に才を見込まれ養子となる。 主君・劉備が蜀に入ると、関羽とともに荊州の守備を任される。 のち荊州は魏と呉の挟撃を受け、陥落必至の危地に陥るが、 決して関羽の側を離れず、魏呉両軍と激戦を繰り広げた。 |
ホウ統 |
字は士元。劉備配下の謀臣。 諸葛亮とは同門の出で、臥龍・鳳雛と並び称された天才軍師。 赤壁の戦いで「連環の計」を遂行して、連合軍の勝利に一役買った。 劉備配下となると、蜀攻略を進言して自ら指揮を執った。 |
月英 |
諸葛亮の妻。黄承彦の娘。天文から地理・兵法と広く学問に通じ、 諸葛亮を陰で支えた。その死後、あとを追うように世を去る。 醜女と言われていたが、諸葛亮はその賢明さを伝え聞いて妻にと求めた。 一説では、世を欺くため醜女を装ったが実は美女だったとも。 |
他武将
武将 | 解説 |
---|---|
貂蝉 |
歌姫。絶世の美女で、歌舞に優れた。
司徒・王允のもとで実の娘同然に育てられる。 董卓の専横を憂う王允のため、董卓と呂布に近づいて、 「連環の計」を仕掛け、見事に二人の仲を裂くことに成功した。 |
呂布 |
字は奉先。武芸を極め、弓馬に優れた猛将。 「陣中の呂布、馬中の赤兎」と称される。 1日に千里を走るという赤兎馬を駆って、得物の方天画戟を振るった。 義父の丁原を斬って董卓配下(義父の関係)になるがその董卓をも裏切った。 |
董卓 |
字は仲穎。宦官誅殺の助力要請に応じ、
西涼20万の軍勢を率いて上洛。 混乱のなか、軍事力を背景に実権を握り、専横を極める。 諸侯が反旗を翻し、洛陽に迫ると長安遷都を強行するが、 王允の策略で呂布に暗殺される。 |
袁紹 |
字は本初。袁術の従弟。宦官誅殺を断行し、反董卓連合軍の総大将を務め名門の御曹司。 その後、勧馥から冀州を奪い、公孫サンを敗死させるなど、華北に巨大勢力を築くが、 天下分け目の官渡の戦いで曹操に敗れ、憂悶のうちに死す。 |
張角 |
鉅鹿郡の在野の士。太平道の教祖として民衆に教えを広める。 世の乱に乗じて広く民衆の支持を集めた。 黄巾党を結成して漢王室に敵対、「天公将軍」を自称し、黄巾の乱を起こした。 |