組織
侍 組織の紹介


ここでは、侍に登場する組織を紹介します。
組織名をクリックすると、それぞれに加担するキャラクターの解説が見れます

六骨峠に存在する組織
組織名
組織現状
加担者
宿場
町にある宿場で、江戸時代には裏甲州街道の宿場として賑わいをみせていたが、 明治に入り、山向こうに新甲州街道ができたため、すっかりさびれてしまった。 黒生家が勝手に売却を決めてしまったため、ほとんどの人が立ち退かされ、 今では宿場の人々などわずかな人が暮らすのみ。 彼らも、黒生家に立ち退きを迫られて迷惑をしている。 すず
栗吉
ドナドナ
黒生家
戊辰戦争では政府側として参加していた武家で、 六骨峠一帯を古くから取り仕切ってきた。 現在は資金繰りも苦しく、警察官に賄賂を払って、強盗や恐喝を行うなど、 すっかり無法者の集団と化している。 生活苦のため、所持している運営に行き詰まった製鉄高炉を政府へ売却しようと交渉中。 当主は黒生鉄心だが、実際は妻の黒生邑咲が裏で取り仕切っている。 黒生鉄心
黒生邑咲
黒生金太郎
知床総一郎
坪内八郎
赤玉党
日本各地で反乱を起こしていた不平士族が、 明治政府に対して不満を持ち、政府打倒を掲げて集まった組織。黒生家の対抗勢力。 各地の士族反乱に参加していたが、政府の圧倒的な軍事力の前に敗戦がたび重なり、 党内には絶望感が漂っていた。 そのころ、赤玉党の党首、吉兆は黒生家の持つ高炉の存在を知る。 これを手に入れようと部下のチェルシー、日向、刈部らを従えて峠にやってくる。 吉兆
チェルシー
日向
刈部
政府工部省
黒生家の取り引き相手。 黒生家が製鉄業に乗り出すために作ったが、 運用に失敗したという最新式製鉄高炉、 “アラヤシキ”売却の件で取り引きを検討している。 また汚職警官、井ノ頭茂吉を現在峠に派遣中のため 人々に多大な迷惑を与えている。 井ノ頭茂吉
保世大佐エ門

黒生屋、赤玉党参考年表
西暦
和暦
世間の出来事
六骨峠、黒生屋
吉兆(赤玉党)
1853
嘉永
六年
ペリー来航 黒生家に長男の吉兆誕生。母親は直後に死亡。 ヘソの緒が首に巻きついて生まれてきたので、幼少の頃から僧侶になるための教育を 受けて育つ(当時は、このように生まれてきたのは、仏からの印と本当に信じられていた)。 母親が吉兆を生む時に死んだ上に、跡取りになれないとあって、鉄心からは辛くあたられる。
1857
安政
四年

知床(当時25歳)、吉兆の家庭教師として黒生家に来る。
1858

五年
修好通称条約、安政の大獄

1860
万延
元年

鉄心再婚する。しかし、新しい母親と吉兆は折り合いが悪く、 いじめられて育ち、結果、親を憎むようになる。
1864
元治
元年
池田屋騒動など(幕末の志士達が活躍した時代)

1867
慶応
三年
大政奉還 二人目の妻も病死。待望の後取は生まれずじまいだった。 吉兆14歳にして、勘当同然で家を出て上京。
1868
明治
元年
戊辰戦争始まる 黒生屋は、政府側として戊辰戦争に参加する。 鉄心と坪内八郎は、この戦争で出会った。 後のパリコミューンの革命家など、反政府思想を持つ者たちと交流を深め、 感化されていく。このころチェルシーとも出会う。
1869

二年
戊辰戦争終わる、版籍奉還

1871

四年
廃藩置県、断髪令
帰国(チェルシーも連れて帰ってくる)。
1874

七年
秩禄公債書発行 鉄心、邑咲と3度目の結婚。 黒生屋の財政は徐々に苦しくなってくる。 邑咲、新事業として高炉建設を提案。 吉兆は日本各地で起こりつつあった明治政府の政策に反発する 士族達の反乱に参加。自らも刈部ら数名と共に反政府組織“赤玉党”を結成する。
1875

八年

高炉操業開始。 周辺の没落士族たちが、仕事を求めて集まり始める。
1876

九年
廃刀令、秩禄処分 黒生家に待望の跡取、金太郎誕生。 高炉、経営悪化、その後完全閉鎖。 峠の治安もかなり悪化してくる。 各地の士族の反乱に参加するも、政府軍との戦力差の前に敗戦が続く。
1877

十年
西南戦争始まる 邑咲、政府に高炉売却の話を持ち込む。 日向、赤玉党に参加、高炉の情報を教える。 高炉を手に入れようと、吉兆は赤玉党を引き連れて六骨峠に帰ってくる。

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